日本最古の歴史書と言われる「古事記」に「ヤマトタケルノミコト」の白鳥伝説というものがあります。

日本神話で最も武力にたけた英雄神として描かれている「ヤマトタケルノミコト」は、第12代天皇の景行天皇(けいこうてんのう)の第二皇子です。しかし、あまりにも気性が激しいということで景行天皇から怖れられていたそうです。

そのため、景行天皇は都の大和から「ヤマトタケルノミコト」を遠ざけたかったのです。

そして朝廷に従わない「九州の熊襲健(クマソタケル)」兄弟の征伐を「ヤマトタケルノミコト」に命じました。危険な任務でしたが熊襲に打ち勝ちました。

すると、直ぐに東国征討を命じられますが、これにも成功します。そして「ヤマトタケルノミコト」は、日本の古代史上の伝説的な英雄として称えられるようになりました。

東国征討を終えた「ヤマトタケルノミコト」は、都に帰る途中で尾張に立ち寄り、そこで出会った「ミヤズヒメ」と結婚し、伊吹山の神を退治に向かいます。

しかし、何故か身を守る草薙剣(クサナギノケン)を妻に預けて出かけたため、不遇な死を迎えます。この時、30歳の若さでしたが、その魂は白鳥になって飛び去ったと伝えられています。

その後、伊勢・大和・河内の3つの白鳥陵が築かれたそうです。

「ヤマトタケルノミコト」の第二皇子である「仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)」は。即位後に父の鎮魂のため、陵の堀に白鳥を飼うことにしました。そして、白鳥を諸国に献上するように命じたそうです。

さらに、「ヤマトタケルノミコト」の足跡と結び付けて全国各地に「ヤマトタケルノミコト」を祀る白鳥神社も創建されたと言われています。

何故、このような白鳥伝説が作られたのかは不明ですが、古代の日本人は「鳥や蝶など飛ぶものに霊魂のやどりをみた」と言われています。

父から嫌われて都に落ち着くことも許されなかった英雄神は、どこか哀しい英雄です。

そのため、せめて亡くなった時には白鳥になって幸せに旅立って欲しいという人々の気持ちが、白鳥神話を作ったのだろうと想像してしまいます。