昔は、日本にもコウノトリがいましたが、明治時代には害鳥として駆除の対象になったことや、開発のための環境破壊が進んで絶滅(1971年)してしまいました。その後、コウノトリの野生復帰を目指す「コウノトリの郷公園」や「コウノトリ育む農法」などの取組みの結果、野外のコウノトリは、100羽程になりました。これらの経緯をまとめています。
▼目次
コウノトリの野生復帰への取り組み
日本のコウノトリは、幸せを呼ぶシンボルとして、人々の暮らしとともの生きてきました。ところが、水辺や里山などで生息していたため、明治時代には水田を荒らす害鳥として駆除の対象になってしまいました。その上、開発のために環境破壊が進行して、1971年には絶滅してしまいました。
現在では、日本の特別天然記念物の指定をされている鳥ですが、世界的な絶滅も危惧されています。
そんな、コウノトリですが、兵庫県豊岡市が行っているコウノトリの野生に復帰させる取り組みで、有機物を活用した農薬を減らす「コウノトリで育む農法」が功を奏しています。
また、埼玉県鴻巣市(こうのすし)でも、「コウノトリの舞う魅力的な地域づくりに向けて」と題して、コウノトリの野生復帰に向けた活動を始めています。
コウノトリとはどんな鳥なの?
コウノトリは、ツルに似た鳥で、全長は1メートル、翼を広げると、2メートルにもなる大型の鳥です。くちばし、脚、頸(くび)が長くて、一見するとツルと似ていますが、学問的な分類では、サギやトキに近い鳥です。
コウノトリは、肉食の鳥で、ヘビ・カエル・ザリガニ・魚・昆虫、など適度なサイズの生物なら、何でも食べてしまいます。
・コウノトリの特徴
コウノトリは、発声器官が未発達のため、鳴くことができませんが、上下のくちばしを叩くようにしてカタカタと音を出します。この方法で、敵への威嚇(いかく)や、子供への愛情表現をしています。
もう随分前のことですが、毎日、幼稚園まで飛んで行ってくちばしをカタカタさせる、カッタ君と呼ばれるコウノトリをTVで放映していたことを思い出しました。園児が大好きだったカッタ君は、声が出せなかったのですね。今回、コウノトリのことを調べて初めて知りました。
コウノトリは、高い木や電柱の上に、樹木の枝などを集めて、直径2メートル程の頑丈な巣を作ります。日本ではアカマツの大木が利用されていました。
コウノトリは、一般的にはオスの方がメスよりも大きいですが、雌雄の区別は、難しいと言われています。そのため、コウノトリの野生復帰の施設である「兵庫県立コウノトリの郷公園」では、繁殖活動に役立つようにDNA検査で判別しているほどです。
コウノトリは何故お米作りに貢献するの?
兵庫県立コウノトリの郷公園は、田んぼのイトミミズやオタマジャクシ、メダカ、ヤゴなどの生物が生息できるような環境作りに取り組んでいます。このような環境を作ると、昆虫や魚などが田んぼで生育して、1年中コウノトリのエサが確保できるようになります。
このような取組を「コウノトリ育む農法」と呼んで活動していますが、「コウノトリ育む農法」でお米の収穫量は増えません。それどころか2割も減ってしまうそうです。しかし、この減農薬農法は、豊かな自然を取り戻してくれます。
「コウノトリ育む農法」を行うと、収穫量は減少してしまいますが、美味しいお米が収穫出来て、高い値段で取引されます。その結果、栽培面積は増えてきたそうです。
ポイントのまとめ
コウノトリは、外国にいる鳥と思っていましたが、昔は、日本のどこでも見ることの出来たそうです。
コウノトリは、1971年に絶滅してしまいました。原因は、明治時代に害鳥として駆除の対象になったことと、開発のための環境破壊でした。
兵庫県の豊岡市で生息していたコウノトリが最後の1羽ですが、豊岡市では、コウノトリの復活に取り組んできました。1989年には、旧ソ連から贈られたペアのコウノトリの繁殖に成功し、2005年には念願の放鳥を開始しています。
豊岡市は、コウノトリの野生復帰を目指す研究機関として、1999年にコウノトリの郷公園を作って「コウノトリ育む農法」に取組んでいます。
このような取り組みのおかげで、日本でも野外のコウノトリが、100羽ほど生息しています。私は、自然のコウノトリは見たことがありませんが、世界的にも少なくなってきたコウノトリが、自然を復活させた日本で普通に生息するようになったら最高ですね。
なお、コウノトリが声をだせない鳥だったとは知りませんでした。