日本神話に登場する英雄と白鳥伝説

白鳥飛び立つ

白鳥飛び立つ

日本最古の歴史書と言われる古事記には、日本武尊(ヤマトタケルノミコト)の白鳥伝説というものがあります。実際に書かれている内容は、複雑で難しいのですが、この記事では、内容を独断的に簡略化して紹介しています。固執しないで、気軽に読んで下さい。

▼目次

  1. 日本神話に登場する英雄
  2. 伝説的な英雄になったヤマトタケルノミコト
  3. ヤマトタケルノミコトの白鳥伝説
  4. 白鳥伝説が生まれた背景
  5. ポイントのまとめ

日本神話に登場する英雄

日本最古の歴史書と言われる「古事記」に「日本武尊(ヤマトタケルノミコト)」の白鳥伝説というものがあります。
日本神話で最も武力にたけた英雄神として描かれているヤマトタケルノミコトは、第12代天皇の景行天皇(けいこうてんのう)の第二皇子でしたが、あまりにも気性が激しいため、景行天皇から怖れられていました。

 

伝説的な英雄になったヤマトタケルノミコト

景行天皇は、自分の子供のヤマトタケルノミコトを怖れていたため、できるだけ、当時の都の「大和」から遠ざけようとしました。

 

そんな事情もあって、景行天皇は、朝廷に従わない「九州の熊襲健(クマソタケル)」兄弟の征伐をヤマトタケルノミコトに命じました。とても危険な任務でしたが、ヤマトタケルノミコトは、見事に熊襲に打ち勝ってしまいます。

すると、直ぐに東国征討を命じられますが、これにも成功します。

 

このような実績から、ヤマトタケルノミコトは、日本の古代史上の伝説的な英雄として称えられるようになります。

 

ヤマトタケルノミコトの白鳥伝説

ヤマトタケルノミコトの像

ヤマトタケルノミコトの像


東国征討を終えた「日本武尊」は、都に帰る途中で尾張に立ち寄って、そこで出会った「ミヤズヒメ」と結婚します。

その後、ヤマトタケルノミコトは伊吹山の神を退治に向かいますが、何故か身を守る草薙剣(クサナギノケン)を妻に預けて出かけたため、不遇な死を迎えてしまいます。

まだ、30歳の若さでしたが、その魂は白鳥になって飛び去ったと伝えられています。これが、ヤマトタケルノミコトの白鳥伝説の始まりです。

その後、白鳥陵は、伊勢・大和・河内の3ヶ所に築かれます。

ヤマトタケルノミコトの第二皇子である「仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)」は。即位後に、父の鎮魂のため、陵の堀に白鳥を飼うことにしました。そして、白鳥を諸国に献上するように命じたそうです。

 

さらに、ヤマトタケルノミコトの足跡と結び付けて、全国各地にヤマトタケルノミコトを祀る白鳥神社も創建されたと言われています。

 

白鳥伝説が生まれた背景

何故、このような白鳥伝説が作られたのかは分かりませんが、古代の日本人は「鳥や蝶など、飛ぶものに霊魂のやどりをみた」と言われています。

父から嫌われて都に落ち着くことも許されなかったヤマトタケルノミコトは英雄神ですが、どこか哀しい英雄です。

 

そのため、せめて亡くなった時には白鳥になって、幸せに旅立って欲しいという人々の気持ちが、白鳥神話を作ったのだろうと想像されます。

 

ポイントのまとめ

気性が激し過ぎたため、ヤマトタケルノミコトは、父でもある天皇から恐れられて、都から遠く離れた戦地に追いやられます。

与えられた任務をしっかり果たして実績を積んだ、ヤマトタケルノミコトは、伝説的な英雄として称えられるようになりますが、自分の強さを過信し過ぎたためか、30歳の若さで死んでしまいます。

 

30歳の魂は、白鳥になって飛び去ったと伝えられています。これが、ヤマトタケルノミコトの白鳥伝説の始まりです。

 

ヤマトタケルノミコトには、6人の子息がいました。この中の第二皇子は、天皇に即位した後、英雄の父を偲んで、陵の堀に白鳥を飼うことや、白鳥を諸国に献上することを指示するだけでなく、全国各地にヤマトタケルノミコトを祀る白鳥神社も創建したと言われています。

ヤマトタケルノミコトと白鳥伝説は、ちょっと、もの悲しいお話ですが、神々しいまでに真っ白で大きな白鳥が霊魂となって飛び去る姿は、英雄伝説としっくり合うのでしょう。