白鳥の生態

仲いいでしょ!

白鳥についての基本的な情報として,
日本に飛来する白鳥の種類、生態、渡りのルート、餌付け等の基本的な事柄をまとめてみました。はじめて白鳥観察をする方にとって、役立つ情報を掲載しています。

どっちが速い?

尚、白鳥の会の代表的なものには、「日本白鳥の会」がありますので、簡単に紹介します。
日本白鳥の会は、1973年(昭和48年)6月24日に東京の四谷にある主婦会館で結成されました。

この会のホームページをみると「ハクチョウが好きな人が集まった会です」と書かれていますが、この会は、日本に渡来した白鳥の研究と保護を推進していく母体になった全国組織の団体です。

当時は、渡来した白鳥が、氷の上で死んで他の動物等の餌になっている光景が多くみられましたが、白鳥が死んだ理由も判らなかったそうです。

そこで、白鳥を保護して、その生態を解明することから始め、自然保護思想の普及(ふきゅう)と学術文化の進展に寄与(きよ)することを目的に結成されました。

活動内容は多岐(たき)にわたっており、白鳥についての文献や資料の収集・紹介、個人や団体の白鳥保護研究についての協力と援助、さらに世界の白鳥研究者や団体との連携交流の活動や、情報交換や情報発信などを行っているようです。

[日本白鳥の会連絡先]
住所 〒北海道枝幸郡浜頓別町クッチャロ湖畔
TEL・FAX (01634)2-2534
URL http://jswan.info/

それでは、次の目次に従って、白鳥の基本的な情報を紹介していきます。

▼目次

  1. 白鳥の種類
  2. 生態
  3. 白鳥の渡りルート
  4. 白鳥の餌付け(えづけ)

 

白鳥の種類

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白鳥を実際に観ると、その優美で美しい姿に神々しさまで感じてしまいます。
白鳥とはどのような鳥なのでしょうか。

学問的な分類を紐解(ひもと)いてみると、カモ目、カモ科の水鳥を総称として、白鳥(ハクチョウ)と呼んでいます。

白鳥亜科には、「オオハクチョウ」、「カモハクチョウ」、「クロエリハクチョウ」、「コクチョウ」、「コハクチョウ」、「コブハクチョウ」の6種がいます。

この中で日本にいる「コブハクチョウ」は、飼育されていたものが野生化したもので、越冬(えっとう)のために渡来したものかどうかは、判っていません。

「コクチョウ」は、オーストラリアに生息している野鳥で、日本にいるものは飼育されていたものが野生化したものと思われます。

また、「クロエリハクチョウ」は、南米のアルゼンチンやチリにいます。このように「コクチョウ」と「クロエリハクチョウ」は、南半球で生息している鳥です。

つまり越冬のために日本に渡来する白鳥は「オオハクチョウ」「コハクチョウ」になります。次に、これらについて少し詳しく紹介します。

尚、上部写真はコハクチョウです。

「オオハクチョウ」

全長は、およそ140㎝で翼(つばさ)を広げると、その翼間の長さは、約225㎝と巨大です。体は全体が白い羽で覆(おお)われていて、尾は短めです。

白くて長い首の先には黒いくちばしと、黒くて優しそうな眼があります。そのくちばしと目の間には、黄色のアクセント(黄色班)があります。

足と水かきは黒色です。雄と雌(めす)は同じ色をしていますが、若鳥は、灰褐色(はいかっしょく)を帯びていて成長とともに白色になります。

「コハクチョウ」

オオハクチョウを少し小さくしたサイズで、全長は120㎝で程です。色や形もオオハクチョウに似ています。

色は、オオハクチョウと同じように、雌雄(しゆう)同色で、若鳥は灰褐色(はいかっしょく)から成長とともに白色になります。

コハクチョウにも、オオハクチョウと同様にくちばしと目の間に黄色斑がありますが、オオハクチョウの黄色斑は、くちばしの半分以上あるのに対してコハクチョウの黄色斑は、くちばしの半分以下の大きさです。

但し、コハクチョウの黄色斑は、個体によって、様々な形をしていることから、個体の識別に役立ちます。

厳密に言うと、コハクチョウの黄色斑は、くちばしの半分以下とは限らないようです(大きな目で見た時の特徴とお考え下さい)。

 コハクチョウの個体識別方法

イギリスでコハクチョウを調査していた自然保護活動家「ピーター・スコット氏(1909-1989年)」は、くちばしの黄色斑の模様(黒と黄の配置)は、1羽ごとに異なることを見つけました。これによって、一目で個体の識別ができるようになりました。

そして、ピーター・スコット氏が設立した英国水禽(すいきん)湿地協会(WWT)には、数10年間のデータベースが蓄積されています。(数10年間ものくちばしの黄色斑の模様のデータを想像するだけで凄いと思います)
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生態

オオハクチョウとコハクチョウは、春から秋にかけて、シベリアの繁殖地(はんしょくち)で浅瀬や水辺の土の上に枯草等で巣を作って産卵し、つがいで子育てをします。

卵は、オオハクチョウの場合(40日程度)、コハクチョウは(30日程度)で孵化(ふか)し、翌日には水辺に行って親鳥から餌(えさ)の取り方を指導されます。

ハクチョウの生活様式(シベリアと日本)

日本では、一つの地域に数千羽もいて、ひしめき合うように生活していますが、シベリアでは、巣の間隔は、15kmも離れているそうです。

シベリアのような巨大エリアでの生活と、日本の密集した環境では、生活様式が全く違うと思います。ハクチョウ達の順応力の高さには感心させられます。

この時期、高緯度のシベリアでは、日射しが夜までそそぐため、昆虫や蚊などが大量に発生します。そして、雛(ひな)はそれらを食べて3ヶ月程で長距離を飛べるようになります。

寒い季節になると、積雪や凍結で食べ物をとることができなくなるため、10月下旬ごろから日本に渡来し始め、冬を過ごした後、遅くても4月初めには、シベリア方面に戻っていきます。

主に、本州の中部より北に渡来して、湖や沼、水田や河川、河口などで暮らしますが、本州の中部以南でも、島根県では多くのハクチョウが飛来します。

島根県ではハクチョウを県鳥に定めています。(宍道湖や中海は本州の、コハクチョウの集団越冬地の南限と言われています)

[1日の行動]

日本に来た白鳥は、親鳥(2羽)と幼鳥(1〜6羽)の家族単位で活動し、その家族群でできた、数十羽から数百羽の集団で群を作って行動しています。

早朝、日が昇って明るくなった頃に、ねぐらを飛び立ち、水田や河川などの餌場(えさば)に行って餌を採ったり休憩したりして、夕方ねぐらに戻るというパターンで過ごします。

[飛行形態と離着水方法]

飛行は首をまっすぐに伸ばして、群れで隊列を組んで優雅に飛びます。但し、白鳥は大きな体をしているため、飛び立つ時は、強く羽ばたいて長い距離の水面を水かきで勢いよく交互にけり、助走して飛び立ちます(写真A)。

写真A

着水時は、両端を前に出して踏ん張るような姿勢でブレーキをかけて降ります(写真B)。

写真B

尚、渡りの時には、凡そ、1500kmをノンストップで飛行できる脂肪を蓄え、最適な追い風が吹くのを辛抱強く待って、飛び立ちます。

白鳥が、飛び立つタイミングをじっくり待っていることは、学者たちが無線追跡データと気象記録データを突き合わせて科学的に分析して確認されました。

[食べ物]

一般的には、草の種子・葉・根や、収穫後の田んぼに残った稲穂(いなほ)、水草などですが、昆虫や貝なども捕食すると言われています。

[睡眠方法]

白鳥は、水に浮いた状態や草陰で、頭部を背中に廻して、くちばしを羽にいれた形で眠ります。水上や水辺で眠るのは、天敵に襲われにくく、そして、逃げやすい場所のためと考えられます。

[寿命]

白鳥の寿命は、平均的には15年で、長寿のものは20年と言われています。尚、環境の良い飼育状態では、20〜30年と言われています。尚、コハクチョウは、白鳥の中でも長命で、シベリアでは、36歳という長寿記録が残されています。

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白鳥の渡りルート

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日本に渡ってくるオオハクチョウとコハクチョウの渡りルートの調査は、生まれ故郷のシベリアで雛(ひな)に首輪の標識をつけて放鳥する方法で行われました。

この結果、コハクチョウは北極圏にあるツンドラ地帯から、オオハクチョウは、コハクチョウよりも南のカムチャツカ半島を含む湿地から日本に来ていることが判っています。

その後、白鳥に発信機をつけて、人工衛星で確認するようになって、さらに詳細な渡りのルートが判るようになりました。

発信機と人工衛星追跡で確認されたハクチョウの渡りルート

コハクチョウはサハリンルート、オオハクチョウは北海道の根室海峡(ねむろかいきょう)から千島海峡(ちしまかいきょう)に連なる千島列島(ちしまれっとう:ロシア名ではクリル諸島)に沿ったルートでやってきます。

そして、北海道北部のクッチャロ湖で休憩してから、日本各地にある越冬地に向かうことが多いことが判ってきました。

帰りは、同じルートでシベリアに戻ります。尚、この移動に費やす期間は、行きも帰りも、およそ1.5ヶ月を掛けています。

このため、この渡りルートには、休憩して餌(えさ)が豊富にとれる停留地(ていりゅうち)があると考えられています。

尚、移動の期間(往復3ヶ月)を考えると、白鳥は日本に滞在している期間(およそ5ヶ月)が1年の中で最も長いことになります。

日本に来た白鳥は、湖や沼、河川などの水辺で、冬季でも積雪や凍結で食料が絶たれることのない場所を選んで越冬します。

従って、毎年同じ場所を訪れるということではなく、その冬の気候に応じて適当な場所に滞在します。(本州の中部より北の地域に渡来する群が多いですが、北九州などで越冬する場合もあります。)

 

白鳥の餌付け(えづけ)

餌付け(えづけ)というと、人が野生の生き物を手なづける目的で行ってきたものですが、白鳥の餌付け(えづけ)は、これとは意味合いが違います。

1950年頃、新潟県瓢湖(ひょうこ)で、吉川重三郎氏によって、飢えている白鳥を救うために、餌付け(えづけ)ははじめられました。

吉川氏は、厳寒期に白鳥の居場所がなくならないように、行政に相談して、用水路から水を入れて水位を調整することや、氷が張った時には氷を割るなどして、常に白鳥に気を使っていました。

この活動を通じて、瓢湖(ひょうこ)に飛来する白鳥の数は徐々に増えていき、1954年の冬には、はじめて餌付け(えづけ)のエサをたべてくれたそうです。

北海道では、厳寒期に氷の上で白鳥が死亡して他の動物の餌になっていることが多く観察されました。(白鳥は飢えて死亡していたのです)

日本への飛来中継地であるクッチャロ湖では、白鳥を救おうと考えた山内夫妻の努力によって、白鳥にエサを与える活動が行われ、1970年に餌付け(えづけ)に成功しています。

このように、白鳥の餌付けは、白鳥に魅せられた人々によって、飢えた白鳥を救いたいという気持ちから始まったものです。

餌付けの成功によって、白鳥と人との距離は縮まり、白鳥の生態観察や保護という点で画期的な成果を上げることができましたが、

近年では、他の鳥類への影響(生態系への影響)や、鳥インフルエンザの流行などから、餌付け(えづけ)やエサやりを禁止する自治体が増えています。

観光などで白鳥を見に来られた方は、エサやりをしてみたくなると思いますが、生態系を保つことは白鳥を保護することにも繋がりますので、自治体の指示に従って行動することが求められています。
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