北極圏のライチョウが日本のアルプスにいる理由

ライチョウ
ライチョウ

登山者がライチョウに出合うのは稀ですが、山登りでライチョウに出合えると、ほっとします。日本のライチョウは、本来なら北極圏の鳥でした。記事では、日本のライチョウがアルプスに棲みついた歴史や、ライチョウという名前の由来について紹介しています。

日本のライチョウは北極圏の鳥だった!

ライチョウは、足指の先まで羽毛に覆われていて、寒い所に棲めるような耐寒仕様です。もちろん、日本のライチョウは、真冬でも高山帯で生活しています。日本でライチョウが生息する山は、冬になると氷や雪に覆われています。

これ程凄い防寒仕様の鳥は、日本ではライチョウ以外にはいません。

地球規模でみるとライチョウの生息域は、北半球の寒帯(北極圏)です。アジアでは、カムチャツカ半島やバイカル湖周辺にまで分布域を広げていますが、せいぜい北緯46度付近までの寒い地域です。(北緯46度とは、赤道面から北に46度の角度をなす緯線のことで、90度は北極点です。)

日本にいるライチョウの生息地は北緯35度ぐらいですから、日本は、ライチョウの棲む南限です。しかもかなり飛び地的なところに生息している特殊なライチョウです。

 

ライチョウの名前の由来

ライチョウは、古くから知られていて平安時代には、らいのとりと呼ばれていました。らいちょうと呼ばれるようになったのは、江戸時代からです。らいとは、霊のことを指しているため「霊鳥」=「聖なる鳥」を意味していました。

人が簡単には足を踏み入る事のできない高山帯(聖域)に棲んでいるため、敬意が込められています。

現在は漢字名で雷鳥と表記されますが、雷が鳴るような時に活発に活動するため、雷の字が付けられたのでしょう。

 

ライチョウが日本にいるのは何故でしょうか?

現在では、ライチョウの多くは北極圏に棲んでいます。

日本のライチョウは、氷河期時代(2万年前)に日本にやって来たと言われています。その後、地球が温かくなってきた時に本州の高山地域から脱出できなくなって、現在に至ったと推測されています。

ライチョウの飛翔能力は判っていないため正確なことは言えません。しかし、低空滑空はできても海を渡る程に飛べるとは思えないからです。

 

ライチョウはどのようにして日本にやって来たの?

ライチョウは、およそ2万年前の氷河時代に、北極圏から日本の本州に来ていたと言われています。海を渡る程には、飛べないライチョウは、どのようにして日本に来ることができたのでしょう?

ここからは推測ですが、次のようなルートでやってきたのでしょう。

氷河期には、地上の氷が厚くなって堆積していたため、海水面は100メートル以上も低くなっていたと推測されています。

つまり、日本海は湖のようになっていて、日本列島は、大陸と陸続きだったのでしょう。これなら、あまり飛べないライチョウでも、日本にやって来ることができます。

あるいは、樺太やカムチャツカ半島のルートなら氷河期の氷上を渡って日本列島に来られた可能性もあります。

氷河期時代に、何らかのルートで日本にやってきたライチョウは、地球の温暖化で北極圏に帰ることができなくなったのでしょう。そして、気温の低い本州の高山地域に追いやられたものと推測されます。

 

まとめ

現在、日本にいるライチョウは、本来なら北極圏に棲んでいるはずです。ライチョウの研究者は、次のように推測しています。

凡そ2万年前の氷河期には、北極圏から日本までは、ほぼ地続きでした。その頃、日本を訪れたライチョウは、その後の温暖な気候にはばまれて日本から脱出できなくなった子孫の生き残りなのでしょう。

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