ユリの花は、欧米では、特別扱いされています。その中でも、ヤマユリは、日本で産まれたユリです。ヤマユリは、大きくてゴージャスのためか、ユリの中の王様とも言われています。記事では、ヤマユリの歴史や、素晴らしさなどを紹介しています。
ヤマユリってどんな花?
毎日、暑い夏の日ばかりでうんざりしますが、実家に行った時のこと、渋滞で車が進まず、付近を見渡すと土手の中腹辺りに、白くて大きなユリの花が咲いているのが見えました。
後で、それは、ヤマユリだと知りました。ユリの花は種類が多いことは知っていましたが、テッポウユリぐらいしか見たことがありませんでした。
そのヤマユリは、白くて大きな花びらが、茎を中心にして10本近くも咲いていました。
調べると、ヤマユリはユリの王様とも言える素晴らしい、ユリでした。
欧米の人々を魅了したヤマユリの花
幕末の開国時に来日したイギリス人の園芸家は、日本に咲いているヤマユリの素晴らしさに驚いて、球根を持ち帰りました。
その後、球根を持ち帰った園芸家は、1962年に開催したロンドンのフラワーショウに出品して大変好評を得たと言われています。
この時にロンドン大学植物学者のリンドリー博士は、ヤマユリを黄金のユリと命名しました。黄金のユリという名称は、ヤマユリの花弁の中央に見られる金色の筋があったからでしょう。
それ以来、欧米ではヤマユリのことを、golden-lilyと呼んで盛んに栽培しています。
このように人気になったヤマユリは、明治初期になると、球根が大量に輸出されて外貨を稼いだそうです。
ヤマユリの花の香りと食べられる球根
ヤマユリの花は、直立して1.5m程に伸びた茎に、直径20㎝以上の巨大な花が数輪から10数輪も咲き誇ります。そして、甘くてむせかえる程の強い香りを放ちます。
料理ユリと呼ばれるヤマユリの球根は、苦みが少なく食用にされています。
ユリの文化史
旧約聖書では、アダムの妻のイヴが禁断の実を食べたことで、エデンの園を追われました。この時に流した涙から生まれたのが、ユリの花です。
日本では、初代の神武天皇が大和の豪族の娘(姫)をめとる話として登場します。古事記によると、姫は、ヤマユリが茂る山百合川の付近に住んでいたそうです。
このように古くから登場する、ユリの花は、ひかえめで質素ですが、気品のある、あでやかなものを連想させてくれます。
ヤマユリの花名の由来と各地の呼び名
ヤマユリの花の名称の由来は、次のように考えられています。
ユリの花は、長い茎に大きな花をつけているため、風に揺れやすいので、揺れるから転じて「ユリ」と呼ばれています。
そして、ヤマユリは、山や林の斜面などに生えるためと言われています。
また、ヤマユリは地域によって呼び名が多数あります。次にその中の代表例を示します。
シラユリ
九州豊後の竹田市では、江戸時代に他地区から持ち帰ったのが野生化して、シラユリと呼ばれています。
ホウライジユリ
愛知県鳳来寺山に自生しているため、ホウライジユリと呼ばれています。
エイザンユリ
比叡山に多く自生しているため、エイザンユリと呼ばれています。
リョウリユリ
奈良県多武峰(とうのみね)付近では、料理ユリから、リョウリユリと呼ぶようになったようです。
ヤマユリの花
ヤマユリは日本の固有種と言われるユリです。ヤマユリは、花の素晴らしさだけでなく、古くから薬として利用され、また球根は食用として重宝されてました。
ヤマユリの花を栽培してみたいと思ったこともあります。でも、ヤマユリの花を想像すると、庭に咲いても似合いそうにありません。
ヤマユリの花は、シックに見えて、ゴージャスです。そのため、高貴な品性を漂わせているからでしょう。
その為、堂々とした美しいヤマユリの花を前にしたら、近寄り難く感じてしまうでしょう。
ヤマユリは、森の中の山林や草木の中に咲いているのが似合う花です。
尚、ヤマユリは神奈川県の県花です。理由は、明治時代の開国以降、横浜港から大量に欧米に輸出されたためかもしれません。